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巨鯉の名所として有名な霞ヶ浦の和田岬から程近いところに、景行天皇行在所(張宮)遺跡があります。霞ヶ浦釣行の帰りに、この遺跡を訪問してきましたので紹介します。 今では道路に小さな看板があるものの、訪れる人もなくひっそりとたたずんだ雰囲気の遺跡です。道路から数十メートルほど奥まったところに遺跡はあります。稲敷市教育委員会の立て看板があり、以下にその内容を要約すると共に、私なりに補足して紹介します。
景行天皇が自分の子である日本武尊(たまとたけるのみこと)に東夷征討を命じたのは有名な話です。日本武尊は命を果たし、その帰途で伊勢の能褒野(のぼの)(鈴鹿郡の地名)にて病死しました。これを知った天皇は、日本武尊を追慕するあまり征途の跡を巡幸されました。その途中でこの地(浮島)に張宮を営まれ三十余日滞在されたそうです。この丘を張宮の跡として伝え、地名もお伊勢の台と敬称し今に至っています。 |
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景行天皇行在所(張宮)遺跡の看板 |
看板を左手に見ながら石段を登っていきます |
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一方、古事記には東夷征討を命じられた日本武尊の苦しみが描かれています。「天皇は、まったくわたしを死んでしまえばよい、と思っておられるからでしょうか、どうして、西の方の悪い人々を討ちに遣わして、都に帰り上って来てから、まだ幾らも時がたっていないのに、兵士らも下さらないで、こんどはさらに東国十二ヵ国の悪者どもの平定にお遣わしなさるのでしょう。これによって考えますと、やはりわたしなどまったく死んでしまえ、と天皇はお考えになっておられるのです。」 この記述から「親の心子知らず」があてはまるのか、はたまた荒くれ者だった日本武尊を天皇が危険を感じて自分から遠ざけていたのが真実だったのかは、今では確かめる術はありません。
二千年の時を超えて景行天皇とその行在所遺跡が、こうして鯉釣りサイトで語られることになるなど、当の天皇も到底想像がつかなかったことでしょう。
ひとつのことを深く探求していくと突然様々なことが連鎖してくる時があり、面白いものです。 |
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石段の上に生い茂る木 |
景行天皇行在所遺跡石碑 |
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