|
端午の節句といえば現代では「鯉のぼり」を立てるのが慣わしとなっていますが、「馗鐘(しょうき)」の絵を描いたのぼりを立てる場合もあります。「馗鐘」とは中国の唐、玄宗皇帝が病床に伏せた際に夢にでてきた人物で、この後目が覚めると病気が快復していたと伝えられています。皇帝はこの「馗鐘」を邪気をはらう効果があるとして絵師に描かせたのが馗鐘図の始まりだそうです。
さて中国の端午の節句はやがて菖蒲の節句として日本に伝わります。江戸時代に入って、菖蒲が尚武(武道を大切にする精神)と同じ読みであることから、武士階級で男児のための節句として定着しました。武家では家紋を印した旗指物(はたさしもの)やのぼりなどを家の前に並べ、健康と出世を祈ったそうです。
江戸後期に入ると、町人階級が5月の空を水に見立て、鯉のぼりを立てる習慣が定着しました。鯉は中国古来から「鯉の滝登り」に象徴されるように出世のシンボルとされていました。男児が鯉のように元気に育ち、出世するようにと願いが込められていました。
現代の鯉のぼりの一般的な構成は、上から回転球、矢車、吹流し、真鯉(黒)、緋鯉(赤)となっていますが、これは比較的最近になってからのようです。
左の絵は、陶芸家バーナード・リーチが1934年に陶芸の町、栃木県益子町を初めて訪れた時に描いた端午の節句です。昭和初期の鯉のぼりを描いたこの作品では、回転球と矢羽根、そして鯉一匹となっています。この絵に添えられた文章を、以下に引用して紹介します。
「バーナード・リーチ展」
バーナード・リーチ展実行委員会出版 p43 より引用
松の生い茂る小さな丘陵地の間のそこここの窯が火入れされている所に、煙が雲となって立ち登っている。外の芝生に立てられた四十フィートの棒には、長さ二十五フィートのはでな色の木綿でできた鯉がものぐさげに風になびいている。五月五日の男の子の節句を祝うためである。男の子一人につき鯉一匹であり一番年上の子のが一番大きな鯉である。 |