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鯉の歴史と文化 / 鯉の名前

鯉の学名

鯉の学名は「シプリヌス・カルピオ(Cyprinus carpio)」といいます。シプリヌスとは、愛と多産の神ヴィーナスの生まれ故郷である「サイプラス(エーゲ海のキプロス島)」に由来しているそうです。数十万個の卵を産む鯉は、多産のイメージがあったようですが、実際は魚の中では特に多産というわけでもないようです。
 

「コイ」の由来

「コイ」と呼ばれるようになった由来については、諸説があってどれが本当なのかはわかりませんが、その中でも代表的な説をふたつ紹介します。
 
1)「恋」由来説
「コイ」は「恋」に由来するとされています。現代の広辞苑に相当する大正から昭和初期にかけての辞書である大言海には「コヒ(コイ)は恋の義」とされています。また日本初の五十音順国語辞典である和訓の栞(わくんのしおり)にも「恋」由来説が書かれており、「景行記にその旨見えたり」と記されているそうです。景行記については「日本書紀 」のページを参照してください。
 
2)「大位と高位」由来説
日本では古来から海水魚の王様は「大位(たいい)」、淡水魚の王様を「高位(こうい)」と呼んでいたそうです。後に大位は「タイ」に、高位は「コイ」になったということです。
 

「鯉」という字の成り立ち

中国では、古くからコイの別名として「六々鱗」と呼んでいたようです。これは側線鱗の数の平均が約36枚であることに由来しているようです。中国の明の李時珍(1518~1593)によって書かれた、薬草に関する古典解説書『本草綱目』には、以下のように記されています。「その脇、鱗一道。頭より尾に至る。大小なく皆三十六鱗」
さらにこの先に話が発展します。コイに側線鱗は36。距離の一里は36町。このことから魚偏に里の字を組み合わせて「鯉」の字が作られたという説がありますが、これも信憑性は定かであはりません。
 

「鯉」の地方名

[ 久留米 ] アカクチ [ 琵琶湖 ] オオミゴイ、カワスジ [ 沖縄 ] クイユ、クーイユ、クーユー
[ 長野佐久地方 ] サクゴイ [ 筑後川 ] ナメ、ナメイ、ナメリ [ 滋賀県 ] ヤマト、ヤマトゴイ
[ 野生のもの、一般 ] ジゴイ、ノゴイ、マゴイ
 
琵琶湖の湖北を本拠地として鯉釣りをされるO様より、鯉の地方名に関する情報をお寄せいただきましたので、以下に追記します。
(以下、O様の情報より引用)

滋賀の中でも色々と呼び名があるみたいで正確なことは分りませんが、放流養殖ゴイは「養殖ゴイ・やまとゴイ・やまと」。天然ゴイは南湖方面で「ゴンボ・野ゴイ・地ゴイ」北湖方面では「トンボ・マゴイ・地ゴイ」など呼ばれることが多いです。

 

大奥での鯉の名前

御所の女官や江戸城大奥の女性達が使っていた女房詞(ことば)は、一般人の言葉とは違っていました。魚介の呼び方も変わっていて、丁寧の「お」をつけたり、「~もじ」の文字詞にしたり、あるいは言葉を繰り返し重ねたり、色、形の特徴で比喩的な言い換えを行うなどの変化が加えられてました。
鯉の魚名は「~もじ」の文字詞であり、「こもじ」とされていました。
参考までに、他の魚名についても記しておきます。
[ タイ ] おひら [ ハマグリ ] おはま [ イカ ] いもじ [ エビ ] えもじ [ タコ ] たもじ [ カズノコ ] かづかづ [ スルメ ] するする [ カツオブシ ] からから、よこかみ、おかか、おかつ [ サケ ] あかおまな [ ハモ ] ながいおまな [ ウナギ ] う [ イワシ ] むらさき、おむら [ タラ ] ゆき [ フナ ] やまぶき [ ニシン ] ゆかりのつき [ カレイ ] ひらめ、かため
普段なにげなく使っている「おかか」という言葉が女房詞だったとは知りませんでした。またカレイのことをひらめとよんでいたということは、当時はひらめを何と呼んでいたのか疑問が残ります。
 

参考文献
1)「魚の社会学」 加福竹一郎 共立出版
2)「コイの釣り方」 芳賀故城 金園社
3)「お魚の分化誌」 有薗眞琴 舵社
4)「釣魚をめぐる博物誌」 長辻象平 角川書店
5)「魚の博物事典」 末広恭雄 講談社

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